地域の振興に貢献する
主人が回想するには、食堂「朝日庵」が繁盛していた頃が、主人の生まれ育った岸田堂の町がもっとも幸せな時代であったように思えます。現在の岸田堂は、ただ広いだけの道路に沿ってカラオケボックス、コンビニエンスストア、ファミリーレストランが軒を並べる、何の個性もない町になってしまいました。そして子供の数が極端に少なくなり、老人ばかりの町となりました。ちなみに隣町の三ノ瀬は、全国でも指折りの高齢化が進む町だそうです。
鋳物工場の煤煙、市場の喧噪、ポルノ映画の猥雑な看板、朝鮮総連の宣伝カーと子供が引くだんじりの響き、1960〜70年代の岸田堂には「ひとの体臭」がムンムンと漂っていたことでしょう。90年代、確かに町はこぎれいになったのですが、果たして、地域は豊かになったのでしょうか。
豊かさとは道路の拡張による立ち退き金により得るものではなく、地域の足元からの産業振興であると、今、痛切に感じます。
以上のような経緯により、「朝日庵」は、まず私たちが住む埼玉の地域振興に、編集・制作業を通じてささやかながら貢献したいと考えます。
川越、埼玉から世界へ情報発信
ところで、関西から首都圏に引っ越して驚いたことは、地域の人たちが自分の暮らす郷土についてあまり愛着を持っていないことでした。大阪人、京都人、神戸人と、自らのアイデンティティが出身地・居住地と強くリンクする関西では考えられないことです。首都圏の中でも、特に埼玉県と千葉県の住民はその傾向が強いようです。これはとても不幸なことです。まず、よりよい社会を創造するには、社会の最小単位である家族が基本であるのは当然ですし、よりよい世界をつくるには、まず自分の住む地域をよくすることが大切です。それには、自分の住む地を知ることから始めなければならないでしょう。
「朝日庵」は、微力ではありますが、地域・地方からの真の情報発信を目指します
デジタル時代にこそ、職人技の仕事を
さて、DTPが出版・広告の世界に普及したとはいえ、品質面ではまだまだ写植やアナログ製版に一歩劣るようです。これは、DTPをめぐる技術的な問題ではなく、ヒトの問題にあると考えます。半年ほど前、私は同時期にある写植屋とDTP制作会社を訪ねたことがありました。写植屋のおじさんが昔気質の職人的姿勢で黙々と仕事に取り組んでいるのに対し、DTPオペレーターはFMラジオが流れる部屋でお菓子をつまみ食いながら、「楽しそう」に仕事をしていました。今、デジタル化が進む編集・制作の現場で必要とされているのは、何よりもプロフェッショナル意識ではないでしょうか。
「朝日庵」はデジタル時代の職人でありたいと思います。
|