※編集工房 朝日庵は、現在、休業中です。


編集工房 朝日庵 沿革と理念
朝日庵の歴史と仕事に対する考え方を述べます。

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朝日庵の沿革
食堂「朝日庵」の創業と隆盛

 「朝日庵(あさひあん)」という屋号は 、もともと主人の祖父母が経営していた食堂の名前です。食堂「朝日庵」は、町工場が多数集まる東大阪市の岸田堂という地域にありました。創業は1950年。1960〜70年代の最盛期には、鋳物工場や旋盤工場のゴツイおじさんが、仕事の引けた後に数多く集う店でした。

 主人の話によると、みんな賭け花札をやりながら、朝日のマークの入った瓶のアサヒビール(決してスーパードライではありません)をガブガブと飲むような雰囲気だったそうです。支払いは、食べた後におじさんが自己申告で帳面に記載する会計システムで、今から考えるとツケを踏み倒す人も多かったでしょう。しかし、そのフランクな雰囲気に魅せられて、いつも店内は満員御礼。「労働者の放課後のサロン」的な空気が漂っていたそうです。

食堂「朝日庵」の閉店、地域の地盤沈下

 1965年に祖父がなくなり、その後は祖母が親類の女性と二人で店を切り盛りしていたのですが、1980年にはその祖母も亡くなり、食堂「朝日庵」は閉店しました。サラリーマンであった主人の父親は、お店をコインランドリー「アサヒ」として改装しました。ちょうどこの頃から付近の町工場も、円高不況で閉鎖に追い込まれ、岸田堂の町全体が徐々に活気がなくなって行きました。

 1980年代は細々と営業を続けていたのですが、やがて近鉄布施駅と平野方面をつなぐ道路拡張工事が始まり、店は立ち退きを迫られ、コインランドリー「アサヒ」も1992年をもって閉店しました。

「編集工房 朝日庵」として再出発

 「朝日庵」の屋号が復活したのは1997年のことです。主人が当時勤めていた情報誌の出版社を退職し、フリーランスとして仕事を請け負うようになったので、「朝日庵」は小さいながらも編集プロダクションとして生まれ変わりました。その後、主人が情報誌編集者としての経験を、私がコンピュータのシステムエンジニアとしての技術を生かし、DTPによる地図制作や会社案内のインタビュー記事執筆等を二人でこなすようになりました。翌1998年には主人が東京の出版社に再就職したため、「朝日庵」は埼玉県川越市に移転し、私が引き継ぐことになりました。

 2004年現在、情報誌や書籍の地図制作、広告版下制作を中心に営業しています。

1950年代初めの朝日庵
1950年代初めの食堂「朝日庵」、
中央は主人の母親

創業者・竹本朝吉
創業者である竹本朝吉

1950年代末の朝日庵
1950年代末の朝日庵


朝日庵の理念
地域の振興に貢献する

 主人が回想するには、食堂「朝日庵」が繁盛していた頃が、主人の生まれ育った岸田堂の町がもっとも幸せな時代であったように思えます。現在の岸田堂は、ただ広いだけの道路に沿ってカラオケボックス、コンビニエンスストア、ファミリーレストランが軒を並べる、何の個性もない町になってしまいました。そして子供の数が極端に少なくなり、老人ばかりの町となりました。ちなみに隣町の三ノ瀬は、全国でも指折りの高齢化が進む町だそうです。

 鋳物工場の煤煙、市場の喧噪、ポルノ映画の猥雑な看板、朝鮮総連の宣伝カーと子供が引くだんじりの響き、1960〜70年代の岸田堂には「ひとの体臭」がムンムンと漂っていたことでしょう。90年代、確かに町はこぎれいになったのですが、果たして、地域は豊かになったのでしょうか。

 豊かさとは道路の拡張による立ち退き金により得るものではなく、地域の足元からの産業振興であると、今、痛切に感じます。

 以上のような経緯により、「朝日庵」は、まず私たちが住む埼玉の地域振興に、編集・制作業を通じてささやかながら貢献したいと考えます。

川越、埼玉から世界へ情報発信

 ところで、関西から首都圏に引っ越して驚いたことは、地域の人たちが自分の暮らす郷土についてあまり愛着を持っていないことでした。大阪人、京都人、神戸人と、自らのアイデンティティが出身地・居住地と強くリンクする関西では考えられないことです。首都圏の中でも、特に埼玉県と千葉県の住民はその傾向が強いようです。これはとても不幸なことです。まず、よりよい社会を創造するには、社会の最小単位である家族が基本であるのは当然ですし、よりよい世界をつくるには、まず自分の住む地域をよくすることが大切です。それには、自分の住む地を知ることから始めなければならないでしょう。

 「朝日庵」は、微力ではありますが、地域・地方からの真の情報発信を目指します

デジタル時代にこそ、職人技の仕事を

 さて、DTPが出版・広告の世界に普及したとはいえ、品質面ではまだまだ写植やアナログ製版に一歩劣るようです。これは、DTPをめぐる技術的な問題ではなく、ヒトの問題にあると考えます。半年ほど前、私は同時期にある写植屋とDTP制作会社を訪ねたことがありました。写植屋のおじさんが昔気質の職人的姿勢で黙々と仕事に取り組んでいるのに対し、DTPオペレーターはFMラジオが流れる部屋でお菓子をつまみ食いながら、「楽しそう」に仕事をしていました。今、デジタル化が進む編集・制作の現場で必要とされているのは、何よりもプロフェッショナル意識ではないでしょうか。

 「朝日庵」はデジタル時代の職人でありたいと思います。

川越祭、新富町二丁目の山車川越祭。新富町二丁目の山車。仕掛け人形のある山車や小さなお御輿など、町により個性があります。

川越祭、新富町二丁目の山車同じく新富町二丁目の山車。陽気なお囃子に合わせてひょっとこの愉快な踊りが見られます。


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